手のひらサイズの愛情



私の左手は吉良くんの男らしくがっしりとした右手に強く握られていた。真夏の日差しに照らされて頭から足の先まで汗だくだったけれど、吉良くんはそれでも手を離そうとしない。茹だるようなこの天気に思わず足元がふらつく。

「吉良くん、あそこの木の下で少し休憩しよう?」
「ああ」

公園の木の下のベンチに二人で座った。勿論手は繋がれたままである。横を見上げると、髪から汗を垂らす吉良くんが暑さのせいかぐったりと背に寄りかかっていた。学校で美形だと持て囃されている訳ではないが、ふとした時に気づくその美しさはまるで美術館に飾られる絵画のようだった。何人もの命を奪っている連続殺人鬼だとは到底思えない。

「このハンカチでぼくの汗を拭いてくれないか。そうだな……今日も左手で頼むよ」

吉良くんは私に……私の手にお世話されるのが好きらしい。食事中に口をぬぐわせたり、お風呂で身体を洗うのを手伝わせたり、制服に着替えるのを手伝わせたり、とにかく何かをやらせるのがお気に入りのようで、その度にうっとりと私の手を見つめ、最後には必ずお礼のキスをする。

「はァ……君の手も汗でしっとりとしているね。だがそれも堪らないッ……」
「吉良くん、その、くすぐったい、です」
「ああそうだった。すまないな、ついうっかり……」

彼は這わせていた舌を名残惜しそうに離して左手の甲にキスをした。そして私は言われる前に彼の右手に自分の左手を戻した。私と家族の命を守るためには仕方ないことだ。一週間ほど経って慣れてきた行為ではあったが、未だに恐怖心は消えない。いつ刺されるか、いつ手首を刈り取られるか分からないのだ。ただひたすら機嫌を損ねないように努める。
私たちは恋人繋ぎのまま公園を後にした。向かうのは彼の家。夏休み前の一週間は学校も午前中で終わりだから空いた時間をそこで過ごしていた。というより、過ごさねばならなかった。彼の両親は私のことをどう思っているのだろうか。二人とも無口なせいか何も聞かれないが、頭からつま先まで目線が這うと獰猛な肉食動物に睨まれて動けなくなったような気分になったこともある。本当に不思議な家族だ。

「さて、始めようか」

あれからぬるま湯で手を洗い、丁寧にマッサージされた後で冷房の効いた部屋に通された。質素な部屋は綺麗に片付けられている。床を見ればホコリどころか髪の毛一つ落ちていない。吉良くんはかなり几帳面なんだろう。棚から出されたのはそんな質素な部屋に似合わない、花などの柄の入った様々な色の瓶だった。

「全く、何故こんなに無意味な模様を入れるのか理解出来ないな。少し添える程度ならまだしも、こんな派手にしてなんの意味があるんだ。大事なのはパッケージじゃあなくて中身だろう……」

そうブツブツと文句を言いながらヘラでクリームを塗る。ローズやピーチではなくシンプルなサボンの香りだった。彼が好んで選ぶのはいつもそれだ。派手なものは嫌いなのだろう。だが見るからに可愛い系のクリームを買いに行く彼を想像すると少し面白い。普段は猫かぶっているが、今のような仏頂面が彼の素である。
間接や手のひらを揉まれると気持ちよくて眠くなってしまう。手をぬるま湯で温めたのもあるだろう、うとうとしていると彼に声をかけられて起こされる。

「もう少し我慢してくれ。これが終わったらそこのベッドで寝ればいい」

そこのベッド……彼が指さしたのはこれまたシンプルな純白のベッド。明らかに彼のだろう。いや、いくらなんでも男の子の布団で寝ることなんてできない。手を舐めまわされたりしゃぶられたりするのとはまた違う恥ずかしさがある。それに彼のことだから、ベッドに入ってきて手を触ってきたりしてもおかしくない。落ち着いて寝ることなんてできるわけが無いだろう。
そんなことをもやもやと考えているうちに吉良くんが私の手をぬるま湯の入った桶につけた。クリーム流れていき、濡れた手を肌触りの良いタオルで拭かれる。タオル越しに手を握られるとまた眠気に襲われそうになる。それを紛らわせるかのように彼に話しかけた。

「吉良くんは、どうして私の手が好きなの?」
「どうして、って……じゃあ君は何故男を好きになのかと言われて答えられるのかい?瞳が綺麗だとか優しいとかそういうことは言えても、本質的なことは答えられないだろう。そういうものだ」

オイルのついたブラシで指を一本一本撫でられる。なんだかくすぐったくて身動ぎしてしまう。

「強いて言うなら一つ。美術の彫刻刀の授業の時、怪我した僕の手を優しく握ってくれただろう。あの時の温もりが忘れられなかった」
「あぁ、進級したばかりの時の……」
「その点に置いて君は特別だった。殺したらその温もりが失われるだろう。そんなの勿体なさすぎる」

浅い切り傷だった。彼があまりにも保健室にいくのを嫌がるので、手を握って傷を観察したのだ。そんな些細なことが恋――手に対する欲を恋と言えるのだろうか――が始まるとは思ってもみなかった。そして唐突に口から出た『殺す』という単語で彼が殺人鬼であることを思い出す。自分はなんで殺人鬼の家で呑気にハンドマッサージなんか受けているのだろう。

「君はどうだ?」
「えっ?」
「僕のどこが好きかな?」

そう言って私の瞳を見つめる。考えたこともなかった。彼にあんなことをされる前、優しいとか頭がいいとか思っていたが手を舐められて全て台無しになってしまった。そもそも私は脅されてここにいる。まあ優しいと言えば優しいが、それは私の為ではなく私の手と自分の為だろう。

「ええっと……うーん……」
「揶揄っただけだよ。ふふ」

彼はハンドマッサージを終えていつもより艶やかな左手に口付けた。こうしていればかっこいい紳士なのに、本当に勿体ないなあと心の底から思う。